西の国から

tombo のまんま
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■ガチガチの規制があるところは、読む気もないし、行く気もない。やっぱりブログは紙一重でも気軽でいたい。これに解析がつくと極力遠慮する。だって、何度も何度も行ってるのがバレルと恥ずかしいじゃないか。
訪問基準はやはり管理人の価値観が自分と合っているかどうか。白いと思わない物を、当然白いという基準で書かれても理解できないじゃない。やっぱり文章の奥にある人柄を見ようとしているなぁ。

■環境によって創作意欲って左右するよね。 "むん" とする部屋のなかで、二の腕のあたりが机に "ねちゃ" とくっつく状態では、爽やかなフレーズなど思いつかない。暑いんです。

■出来あがったひとつのフレーズがあっても、言う相手によってニュアンスを変えろよ。相手を見てからモノを言え。脅しじゃなく、相手がわかるように言い方を変えなさいよ。と、意見してみても、それが伝わらないということは、自分も言い方を変えろということか…。

■古いとか新しいとかではなく、柔軟性、発想の転換が大切なんだと思う。画一的に 「こうあるべきだ」 にこだわるだけでは共存はない。そういう発想ができる人がどんどん減っている気がする。
訃報:小倉昌男さん80歳=ヤマト運輸元社長
ベルギーの男性が休暇でモロッコへ行き、自分の性行為をビデオに収録し、帰国後ネットに公開した。モロッコでは婚姻前の性交渉は犯罪とみなされる。結婚してベルギーへ連れて行くと嘯き、女性を騙していたらしい。結果、知らずにビデオに収録されていた数名のモロッコの女性が逮捕された。ベルギー人男性はお咎めなし。モロッコでは、単なる性的快楽のためなのか、異国の習慣を馬鹿にしているのかと抗議している。

国境を低くするもしくは無くするのはいいが、民族間の違いを理解しろとはいわない、しかし、互いの存在を認めることを覚えない限り、接触が増える分衝突も増える。

遥か昔から存在し続けている国と国との境は、もしかしたら人間の本質を見抜いた知恵だとは思わないか。
ということで、今夜は Sun Juan の前夜際。
キリスト教によって、夏至の日零時ちょうどに生まれた聖ヨハネの聖誕祭なんて日に変えられてしまいましたが、暦では6月24日は夏至。
一年で一番昼が長く、夜が短い日。
こういう日は世界各国で、それに由来する祭りがあるものですが、スペインでも太陽や、星、水、草木からなる迷信や異教をもとにした儀式が行なわれていました。そのうちのひとつに魔女集会があります。
この日の集会は恐ろしい意味をもつものでなく、普段夜の闇に隠れている財宝が、もっとも短い夜のこの日光の元に現れるために、魔女達が儀式を行ない宝や恋の相手など見つけようとする日でもあるそうです。
街角のいたるところで、人々は古い家具やカーテンなどを集めて大掛かりな薪をし、爆竹や花火で大騒ぎをし、宵っ張りで歌い踊り続けるのです。
少々荒っぽい祭りではありますが、昔あった村祭りがどんどん廃れていっている日本と比べると、以前の習慣のまま住民ひとりひとりが祭りを楽しもうとしているスペイン人は祭り上手な人々といえるかもしれません。

まあ、夜中を過ぎても寝られないだろう。
ふんぞり返った態度で傍観されるのがきらいだ。
自分が傍観者という立場にいる場合、文句は言わない。黙って従う。
批判するつもりなら、その前に接触する。体験する。
表面的なものだけをみて、さも分かったように決めつけられると憤りさえ感じる。

何様のつもりだ。てな感じ。
■結局は良識ある人同士のコミュニケーションはどんな形でもうまくいっていると思う。問題はそれ以外のケース。これがやっかいなのだ。しかし、一般社会でいやというほど知っているように、ワカラン者にはナニを言ってもワカランと思う。

■昨日の帰り道野暮用で商店街を夕方に歩く。夕方っても真昼の明るさだけどね。なぜだかまっすぐ歩けない。なんでこんなに人がいっぱいいるんだ。ああ、夏休みはすでにはじまっている。

■SNS にどっぷり。新しもの好き。仕様がブログとは随分ちがう。そのうち飽きる。

■SNS に浸かりすぎてこのところ睡眠時間が毎日いつもより2時間ほど少ない。今日金曜日。さすがに、眠い。ねぼけて、朝きれたトイレットペーパーを補充しようと冷蔵庫を開けていた。

■学生は夏休みだけど、オフィスは仕事中のはず。なんだけど、気分は夏休み。出勤時間は遅くなるし、ぺっちゃら、くっちゃらおしゃべりばかり。ええい、仕事をしないか、うるさくてネットに集中できないぢゃないか。

■やっと金曜日になった。それがすべての1週間。
6月15日深夜、インターネットを介して電子書籍を購入す。
合計17冊、約9千円也。この間30分未満。
その後、T-Break で17冊すべて、コンバートしてPDAに入れた。
これで、毎日持ち歩いている電子書籍に17冊の本が新たに加わったことになる。
紙の本による読書と電子書籍ではまだまだ差があるとはいうものの、電子書籍の開発で 『読みたい』 という渇望が随分満たされるようになった。海外にいると読書したさに、時として送料込みで本の3倍もの価格で購入したりもする。

PDA機器によって、表示画面が幾分変わるものの読書には十分。
ビューアーのアプリがどんどん開発されると、互換性がなくなったりするんじゃないかと老婆心もちらり。PCで読んだり、別機種のPDAで読んだり出来るのがいいので、基本のデータは同じものにして欲しいなぁ。

『読みたい』 それだけでどんな読書環境でも耐えられるものだ。
気に入ったというより、自分にとって使いやすいソフト探しって元手がかかるねぇ。
ひとつ選ぶとまた使い方を覚えるのが大変だし。
かつて『ペイント』からいぢることを覚えて、『MS Photo Editor』、『Paintor Classic』、『MS Photo Drow』、『Adobe Illustrator』、『Photo Shop』行脚の道はつづくよどこまでも…。
■他人がどーした、こーしたと書いた文章を読んでおもしろいのか?
わからないから、自分の日記で試してみる。てか、他に大したネタがないんだよ。

■日曜日は、あいも変わらず怠惰な生活。
もうそろそろ、契約したディジタル放送の2ヶ月間見放題期間が終わるから、TV 前に陣取る。元は取らなきゃ。

■デンゼル・ワシントンの 『THE HURRICANE』 をやっていた。
こっちは、『ハリケーン・カーター』 という題名で、てっきりパニック映画だと思っていたら、実話を元にした真面目なドラマだった。独房に押しこまれて何日も風呂にも入れてもらえないんだけど、ああいう時、トイレはどうしてるんだろう。独房の中にあるだろうとはいえ、大きい方をしたとき、紙はあるのか? 水は流れるのか? そんなことを考えながら、つくづくああいう目にはあいたくないと思った。
いくら、蛆がわくといわれても、自分にわくのはいやだ。

■前回の EUGP を見逃したので、昨日はちゃんとスタートから見ていた。したら、しっかりフェンスに接触してリタイヤ。とたんに緊張していたアナウンサーが、脳天気にお喋りし始めた。お国のスターが出ていないので、あとはどうでも良いって感じ? 本来ならムカッとくるところだけど、アナウンサー達が 「こんなことやってちゃいかんよなー」 とそれを認めながら笑ってるんだから、それでもイッかな、とこちらも適当。それっくらい、緊張していたのが、急にほぐれて押えがきかないって感じだった。

■姿勢が悪いのか、座り方が悪いのか、肋骨のあたりが痛い。
心中こっそり打ち消していること。← 肋間神経痛
『さようなら』 という言葉は、たとえば人が道端で偶然出会い、お互いの近況を聞きながら立ち話でもしたあと、元々の目的地に向かうときに、『そのようなら』 と促す言葉から生まれたという。
スペインでは、これで別れようという意味の 『さようなら』 はあまり使われない。『また後で』、『またあう日まで』、いつかまためぐり会うことを願いつつその場を去る。

そんな人と人との別れは何度も繰り返して来たけれども、ネット上の別れには未だに慣れることができない。
僅かな仲間内の付き合いを除いて、会わない事が前提のネットの交流。
それでも企業の宣伝用の HP でない限り、読み手はその作品の背後に人を感じている。それが、消えてしまうとき、読み手はどうしたらいいんだろう。感じてはいるものの、その人を知らないから、出来上がった決まり文句以外に捧げるべき言葉がみつからない。

そんなもどかしさがネットの交流だと最近気づいた。
僅かなフレーズで人の思いがすべて伝わるはずがない。知らない部分、解らない部分を残したまま、思い入れや誤解の一方通行を読み手は自分で作り上げて行く。だから、そんな時にいきなり停止を告げられると、どこか裏切られたような、ほんの僅かな憤りが残ってしまうんだろう。
少なくとも、自分は 「あ、そうですか、じゃあね」 なんて気にはなれない。また、そういうところに限って引き際が良すぎて、地団駄を踏むしかないのだけれども…。
去る本当の訳を知らないその他大勢の 『読み手』 には、『またあう日まで』 も、『お元気で』 も言えないじゃないか。前にも書いた。言葉だけの気休めは書けない。

『さようなら』
ネット上で去り行く人を黙って見送るには最も適した言葉なのかもしれない。
このところ、こんなことばかり繰り返している。


本当は、お宮さんみたいに寛一にすがりつきたいんだ。(←古いよ)
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