日々の生活に流されていくうちに、ついつい忘れて話せば分かるなどという甘い考えを抱いてしまうのだけれど、話しても書いても伝わらないものは伝わらない。
常に「誤解される可能性」を踏まえた上で、人と付き合わなければいけないと思うのだが、熱が入れば入るほど、思いこみが先に立ち、つい忘れてしまう。
逆もしかり。相手のことが分かったつもりで調子に乗ると、とんでもない見当違いをしてしまう。言葉では伝わらないと、飲み込んでしまう言葉のほうが多いのではないだろうか。
結局、人間社会なんてものは、誤解と思い込みで成り立っているのだろう。だいたい、語られる言葉だけですべてが分かってしまったら、コミュニケーションなんて必要ないじゃないか。だからこそ、言葉を捏ね繰り回して伝えようとするし、必死になって聞こうとする。
伝わらない言葉ではなく、伝えない言葉を気遣うことが思いやりになるなら、コミュニケーションとは言葉で思考を伝えるいうことではなく、理解しようと努めることなのかもしれない。
・おっしゃる通り(^^) by 彩木
そもそも僕なんか、自分とさえ向き合っていない時間が
多い、人と出会い、人をわかろうとする前に
自分をわかっていないんだから始末が悪い
そう言う意味ではロック・コンサートなんか行くと一時的とは言え、大勢の人が一つの曲、共通の感動に酔いしれるから、そこでは日常得ることのできない深い共時性
を体験できるのかも知れない・・勿論サッカーのサポーターなんかも結局そんな事から中毒になっていくのかも・・・?
・例えば by tombo
一枚の紅葉の葉を撮っても、撮るカメラによって色は変わる。編集することによって色は更に変えられ、移されるモニターで見る色も変わる。
時々、同じ話題を同意しながら話している時、互いの頭のなかではどのようにデータ化されているのだろうと思うことがあります。
その違いをいやがるのではなく、違いとして大切にしたい。時として、自分の気づかなかったことに驚かされるのは、そんな違いや小さな誤解があるからだと思っています。
大きな渦に沸く大衆の一部になって、そのエネルギーに酔いしれる瞬間が終わると、そのデータも違うフォーマットでそれぞれの頭のなかでデータ化されていくのでしょうね。そしてそこからまた小さな誤解が始まる。同道巡りですね。
つまりは伝達することが理解されたかどうかではなく、伝達しようとやっきななることが本来の人間に与えられた宿命ではないのかと、小さな誤解を慈しみたい今日この頃です。
だって、秋ですもん。

我が家のベランダは南向きですが、山にさえぎられて生まれた町で見慣れた海を見ることができません。それでも朝靄や霞に包まれる連なった山々を見るのもなかなか良いものです。大きな町ではないので、高層ビルに視界をさえぎられることもなく、民家の煙突からでる煙の向こうにある景色はとてものどかです。

その景色の向こうにある山の、そのまた向こうの一番遠くに見える山のてっぺんにある建物は、肉眼では点ほどにしか見えません。
でも、仕入れたばかりの PowerShot S2IS の12倍ズームで撮ると、こんな景色もここまで見える!
実はカメラの練習でしたっ。
・いい景色ですね。 by agrico
そうですか。海を見て育ったのですね。
私は盆地で生まれ低い山々を見て育ちました。だからこの写真にあるような景色がちょうどいいんですよ。外国だとそれほどでもないですが、山を見るとなぜか人の息吹を感じます。
家の壁を伝うツタ、趣があっていいですね。日本じゃあまり見られない。板の壁にもツタは這うのでしょうがせっせと草取りしてしまうからでしょうか。
こんな景色にtomboさんの暮らしが見えるような気がします。
・大したもんだ! by 彩木
デジタルズームもなかなかですな(^^)
今度、月面なんか撮ってみるといいかもです。
・agricoさん by tombo
私は瀬戸内海沿岸の町に生まれました。瀬戸内沿いにある町に住む人々は常に、南に海、北に山を見ながら暮らしています。方向感覚も東西南北ではなく、海がどこに位置するか常に頭にあるのですよ。そのため、こういう、周りが山に囲まれた場所や、広大な平野に立つと自分がどちらを向いているのかさっぱり分からなくなってしまうことが良くあります。
ずっと前のことですが、奈良の長谷寺を訪ねて早朝に山頂にある寺まで山を登っていきました。そこで振り返ってみた取り囲む山々の深い藍と立ち込める靄の景色は東山魁夷の絵を彷彿とさせるものでした。
自然というものは海に限らず、山に限らず、技術を駆使して人を感動させようとする我々のことなどまったく眼中にないごとく、さらっとそんな感動をつくってしまえるんですね。
・彩木さん by tombo
フィルムを現像しなければならなかった頃、カメラに興味はあっても現像代を節約するために写真を撮らないようにしていましたよ。写真を撮っても一本のフィルムを使い切ってしまうまで撮った写真はカメラのなかに収まったまま。
デジタルはどんどん撮ってすぐ見ることができる。
これって、画期的ですよね。アマチュアのカメラマニアの人がどんどん増えていくのがよく分かります。
そっかー、大きいお月様の写真はズームを使っていたのか…。
言われてみれば当たり前のことなのに、全然気づかなかった。←バカ。
・おおおお by ぴょんちゃん
おおおおー!さすが高機能高価デジカメ。
よく撮れてるねえ。
こんどお月様撮って見てください。
ねえ、この教会どこの???
あの須○山のような山にある教会?
↑あの山なんていうんだっけ?
撮影旅行に行くときは一緒にいってあげようか?w
・撮影旅行 by tombo
そんな時間があればいいですけどね。なかなか。
最近寒くなってきて、暗くなるとすぐ窓を閉めてしまうので中秋の名月以降、すっかりわすれていましたよ。
こっちでは、観光客以外はカメラ抱えてパシャパシャやっている人を見かけないので、ちょっと恥ずかしい。ま、そのうち慣れるだろう。

スペインにも四季はありますが、日本の紅葉の美しさはなかなかお目にかかれません。赤はないかと探していたら、目と鼻の先、向かいのアパートを覆っているツタが秋晴れの陽に照らされて輝いていました。

ツタは冬になると葉をすべて落としてしまうのですが、夏の緑に秋の紅と目の保養になります。
それにしても、これだけの葉っぱがすべて落ちてしまってから、掃除するのは大変だろうなあ…。
ということで、嬉しがってカメラの練習。
・時々おじゃましますが by K−5
日本人が紅葉を美しいと感じるのは、山一面の紅葉を見た経験を元に遠景のスケールの大きさを想像するところが背景にあると思うんだ。(さらっと書いたけど難しいぞ理解してくれw)
日本にはそういった自然環境があるということかな。
だから1本の木の紅葉も美しい(ものの一部)と感じるのだと思う。
ところでスペインの人は紅葉をキレイと感じるのだろうか?
・いつでも好きな時に来てください by tombo
見慣れている茶系、グレー系の退屈な景色の中に、ある日突然現れ、鮮やかに輝く紅から目が離せなくなることがあります。そんな時、頭の中で秋の色とりどりの紅葉が頭の中を駆け巡っているんだろうか…。今度やってみよう。
と、思ったけど、あの紅はもうなくなりました。ここでの紅葉の期間は短いです。
スペイン人だろうが、日本人だろうが、自然に関しては感じるものは同じではないだろうか。美しいとは思わないかもしれないけれど、深い緑が真紅へ変わることへの感動はあると思うよ。